自責思考寄りだけれど他責全くしないわけではない。「多分自分がやったんじゃないのに」と思うことはある。でもこの「多分」が厄介過ぎて、自分自身が信用ならないから、納得はしていないけれども自分が悪いと認めてしまう。プライド高くても自分基準のプライドなので、頭下げるのはそんなに苦痛じゃないし。だけど自分に非があると認めたことで実は他の人に原因があったとかは嫌だな。だってその人は何とも思っていないわけだから繰り返す可能性があって、再発防止に繋がらない→再発する→「またお前のせいか!(冤罪)」となりそう。あと責任取らされるのも嫌かも。責任取れるだけの立場や価値が自分には無いから。
No.1172, No.1171, No.1170, No.1169, No.1168, No.1167, No.1166[7件]
環境とか親とか病気とか、それらのせいで自分は今こうなっていると思うのは仕方がないし実際影響はあるんだろうけれども、周囲だけに原因を押し付けて自分には全く非がないみたいに考えてしまうのは、それはそれで健全じゃない気もする。自己防衛の一種なのかもしれないので、それを責めたりはしないが。でもこういうこと言うと「お前は恵まれているから余裕のある考えができるんだ」と言われそうな気もする。実際、環境や親には恵まれている方だと思うし、そもそも自責思考寄りの人間なのでそう思うだけかもしれない。他責思考だと自己の精神の安定には良いけれど根本的な問題解決には繋がらないイメージがある。
食べたくないのに食べると吐くという事を学んだ。食べ切れない分は大人しく冷凍しましょう。
職場で苦手な人ができてしまったかも。怒鳴られるとか殴られるとかはないが、どうも相性が悪い。声のトーンか何かが合わないのか指示が聞き取り辛いこともある。相手も自分を苦手に思っていそう。苦手意識を持ってしまったからそう感じているのかもしれない。『苦手』から『嫌い』にならないために何ができるだろうか。もっともっと頑張るしかないか。
仕事(副業)に熱意が持てない。頑張りはするけれど、だから何なんだとも思ってしまう。
子供の頃に想像した未来の自分とはかなり違っているけれど、想像通りならとっくに死んでいるので、まあ生きているだけで十分か。
自意識過剰って加減が難しい。自己なんだから他人よりも意識して当然な気もする。逆に他人の事を自己よりも意識し過ぎる状態とかって存在するんだろうか。誰かを意識し過ぎるとか言うと恋の気配を感じる。あるいはストーカー。そういうこと?恋愛的な?
自意識過剰の反対語は無意識過剰らしい。ウィキペディアが言っていた。無意識過剰とは『おのれの言動や周囲の状況などについてあまりにも無頓着であるさまを指す言い回し』らしい。Weblio辞書が言っていた。『無に対する意識過剰』じゃなくて、『無意識』が『過剰』なのか。それって反対語なのか?自己は勿論、他人の事も意識していないってことじゃない?
自意識過剰の反対語は無意識過剰らしい。ウィキペディアが言っていた。無意識過剰とは『おのれの言動や周囲の状況などについてあまりにも無頓着であるさまを指す言い回し』らしい。Weblio辞書が言っていた。『無に対する意識過剰』じゃなくて、『無意識』が『過剰』なのか。それって反対語なのか?自己は勿論、他人の事も意識していないってことじゃない?